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今月の言葉
平成24年1月

雨の日を悪い天気といいますが、こちらの都合が悪いのです。
             僧侶  豊島学由

上の言葉は、浄土真宗の僧侶で布教使である豊島先生の著書『いのちの言葉―掲示伝道法語集』(出版元「法蔵館」)にある言葉です。

受け取る側の問題。
同様の事は昔から様々な分野で言われる事ですが、中々難しいですよね。
自分の都合が先だってしまうものです。

たとえ、雨や雪の日であっても、悪い日とは考えず、雨の日だからこそと思えるようになりたいです。

平成23年12月

花びらは散っても 花は散らない

新潟県高田出身の浄土真宗の僧、金子大栄(一八八一~一九七六)。
同郷の曽我量深とともに明治から昭和に、浄土真宗の学問・仏の教えを深め、世に広めた方です。
金子先生は続けてこう言われます。

形は滅びても人は死なぬ。

人は死んで骨となり、姿・形が目に見えなくても、声や匂いが消え失せても、決してそれは終焉ではない。「不生不滅」の義。
花にたとえられる人の生と死。生と死とは、いつからいつなのか・誰のものなのか…こうしたことを考えさせられます。

平成23年10月

「さびしいとき」
 私がさびしいときに、
   よその人は知らないの。
 私がさびしいときに、
   お友だちは笑ふの。
 私がさびしいときに、
   お母さんはやさしいの。
 私がさびしいときに、
   佛さまはさびしいの。

     (金子みすづ)

金子みすゞは、明治から昭和にかけての童謡詩人で、二六歳の若さで早逝されています。自死です。
その詩からは浄土真宗の法義がにじみ出ております。この詩にも、母の慈悲や、仏さまの大悲が溢れています。

平成23年9月

うそはいわない
ひとにはこびない
ひとのかげぐちは
いわぬ
わたしにできぬ
ことばかり
   (みつを)

相田みつをさんは、皆さんもよく御存じだと思います。
仏教をよく聴聞され、「書」と「詩」で、私たち人間のあり様を書き記し、共感する人も多くいられます。

私は上の詩が好きです。
「わたしにできぬことばかり」と言うあたりがユーモアあって面白いです。

皆さんは、相田みつをさんのどんな詩がお好きですか?

平成23年8月

歌に聞く
    秋 桜
 うす紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽溜りに揺れている

 この頃 涙もろくなった母が 庭先でひとつ 咳をする

 縁側でアルバムを 開いては 私の幼い日の思い出を

 何度も同じ話 繰り返す  独り言みたいに 小さな声

(さだまさし)

秋の日、無意識に頭の中を流れる曲の一つに、『秋桜』があります。
さだまさしさんが作詞作曲し山口百恵さんが歌った名曲です。
今年34歳の私は、1980年に引退した山口百恵さんの現役時代を知りません。
ですが、幼いころ、私の母がよく口ずさんでいました。

当時、歌詞の意味など分かりませんでしたが、この年になって聴きますと、その歌詞と旋律そして歌声と背景が、私の心を揺さぶります。

曲の内容は、秋の日に嫁ぐ女性が、母に感謝と別れの思いを寄せるものと言えるでしょうか。
二番の歌詞では、結婚を前に、突然涙こぼし「元気で」と繰り返す母、ありがとうの言葉をかみ締め私なりに生きてみますと誓う娘。

母の存在を確かめ、母と子の関係を考えさせられる歌詞ですよね。
秋の桜と書いて、コスモス。
皆様の近くにはコスモスは咲くでしょうか。皆さんが秋になると思いだす歌はどんな歌でしょうか。      

平成23年7月

「富む」というのは 物をたくさん 持つことではなく、
足るを知ることを 「富む」というのです。 
中村 元(なかむら はじめ)

仏教に興味を持って、お釈迦さまの言葉に耳を傾けた時、中村元先生の名を知る人は多いと思います。街の図書館や本屋さんで中村元先生の著作は多くあります。私の使っている仏教辞典も中村元先生が編纂されたものです。インド哲学・思想家であり、翻訳された経典は数知れず世界を代表する仏教学者です。

禅の言葉に「吾唯知足」とあるように、本当に「富む」ということは、物質的な物が溢れるということではないのですね。問題は己にある、そう言っているように思えます。

いくら物があっても満足しない姿を、仏教では餓鬼と言います。お盆のことを「お施餓鬼」とも言い、餓鬼供養する宗派もあります。

皆さんは、お腹すかせて食べても食べても心が満たされない餓鬼の姿になっていませんか?

6月

       目がさめてみたら

あじさいの 日ごとに変わる そのままに
                 己がこころを 見るぞ悲しき

あじさいの 日ごとに変わる そのままに
                 変わらぬものを 得るぞう嬉しき

右の短歌は、明治期の文化人と僧侶の間で詠まれたものです。日に日に変わる紫陽花の花の色。
その色の移り変わりが自分の心の移り変わりを見ているようで悲しい。穏やかな心でありたいと願っても、波風が立てば揺れ動く私たちの心。
これに対し、二句目の歌は、日々紫陽花のように移り変わり激しい私たちの心ですが、そんな中にも、変わらないものを一つ得ることは嬉しいと詠んでいます。
それが、人と人との信頼や愛情なのか、はたまたお金地位名声なのか、それとも・・・。皆様にとって、変わらない確かなものはどういったものでしょうか。
紫陽花(あじさい)・・・初夏梅雨の風物詩である花、紫陽花。別名、「七変化」とも言われます。あじさいは土壌によって色が変わるそうです。

5月

目がさめてみたら

目がさめてみたら
生きていた

死なずに
生きていた

生きるための
一切の努力をなげすてて
眠りこけていたわたしであったのに
目がさめてみたら
生きていた

劫初以来
一度もなかった
まっさらな朝のどまんなかに
生きていた

いや
生かされていた

                    東井義雄

東井先生は明治45年兵庫県の浄土真宗本願寺派のお寺に生まれました。
小学校中学校の教員として子どもたちと関わる中で、いのち・生きること・仏教のことなどを深く見つめられた方です。
その言葉は、現代に生きる私たちのこころにひびきます。NHKの心の時間という番組で紹介され、東井先生を御存じの方もいらっしゃるとおもいます。

4月

散る桜 残る桜も 散る桜
                    良寛

11月に続いて良寛さんの一句です。
これは辞世の句とも伝えられております。

満開に咲きほこる桜も、やがて散りゆく桜。
その桜に、世の無常、儚さを感じることもあります。

しかし、散って終わりではありません。

花が散った桜の木には、青々とした新緑の葉。
そして、また次の年もその次の年も、桜は咲く。

今も昔も、これからも、
日本人の心に咲く桜。

みなさんは、
今年の桜を見て、何をおもうでしょうか。

3月

天命に安んじて人事を尽くす
                    清沢満之

清沢満之は、明治期を代表する真宗の僧侶です。明治の親鸞とも呼ばれました。
肺結核を患い三十九歳の若さで亡くなりましたが、徹底した自己を内観する求道精神は、今日の宗教に少なからずの影響を与えています。

元来「人事を尽くして天命を待つ」ですが、清沢は天命を受け入れることで、自分自身が安んじられ人事を尽くせることを示しました。

努力した後は天任せの生き方は、時に失敗や悪事が天のせいになりかねません。今生きていること・努力できることは、天から与えられたもの、お陰さまである、だからこそ精一杯今を大切に生きようという在り方も大切に感じます。

2月

吹けばとぶ このいのちを 生かすのに
天地宇宙 総がかり
                    米沢英雄

吹けば飛ぶような将棋の駒に・・と歌ったのは村田英雄さん。米沢英雄さんは、福井県出身の医者で、真宗の教えに深く帰依され多くの著作を残されております。

この吹けばとぶ小さく儚い私どものいのち。しかもたった一つのいのち。このいのちを生かすために、大空・太陽・月・星・銀河・大地・土・山・海・川・酸素・水・草・花・木・虫・野菜・果物・魚・鳥・父・母・男・女・・・ありとあらゆるいのちがかかわるこの嬉しさ不思議さ有難さ。南無阿弥陀仏

1月

大きな樫の木も 小さなどんぐりから(ブラウン博士)

ノーベル化学賞を受賞した鈴木章氏と根岸英一氏の恩師であるブラウン博士の座右の銘だそうです。歴史に名を刻むことも、科学の発展に大きな成果を残すことも、小さな種から始まる。樫の木もどんぐりも本来は一如ということでしょう。

人と人の関係も同じです。ほんのささいな心遣いや、思いやりある言葉の積み重ねが、多くの人の輪を作り末長い縁をつなぐことになります。

樫の木ばかり見てはいませんか?

どんぐりを忘れて、生きてはいませんか?

12月

むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/
ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに書く
                          井上 ひさし

戯曲、小説、評論など幅広い分野で活躍された井上ひさしさんは、平成二十二年四月に満七十五歳で逝去されました。右のことばは、井上ひさしさんが揮毫(きごう)を頼まれたときよく書いていたもので、雑誌や新聞で何度も取り上げられました。

自らを「遅筆堂」と号し、作品の完成が遅れても、言葉そのものを大切に文筆活動に取り組まれた井上ひさしさんだからこそ、「むずかしいことをやさしく…」というこの言葉がよく響きます。

難しいことを易しく、易しいことを深くするのは、なかなか大変なものです。物事を自分の中で十分に消化し、丁寧に整理しなければ、人に伝えることは難しいです。私などは、とるにたらないことを大げさに話してみたり、簡単なことをさも大層に語ることはあるのですが…。

そこに必ず読む人・聞く人が存在すること、そしてその人たちは饒舌に語る自分を必ず見ているを忘れずに意識したいものです。 

11月

裏を見せ 表を見せて 散る紅葉
             良寛

良寛さんは江戸時代のお坊さんです。新潟県の出雲崎というところに生を受けました。上の俳句は、良寛自身が詠んだものでないが、臨終にあたって良寛自身が今の気持ちを表しているとして詠んだものです。四十歳年下の貞心尼にたくしたものとされています。

世の中には表と裏があります。善と悪、富と貧、勝と負、白と黒などなど・・・。

私たち人間は、表の部分はきれいに飾ります。いい服を着たり、化粧をしたり、人を褒めたり、人に媚びたり、善人ぶったり・・・。表だけ飾る、表をきれいにする生き方はストレスがたまり、疲れます。最後までがんばって表を飾り自分のプライドを守っても、老いや病そして死が、無慙にも自分自身の表面的な部分を否定するものです。

とはいっても、自分の裏側はみせることの出来たものでありません。他人に見られたくないもの、他人に見せることのできないもの、他人に知られたくない過去・・・。自分の心の中を探られたらどれだけ罪や恥が多いことでしょうか。

表と裏、この表裏一体なるものを、言い換えるならば生と死そのものが一つ(一如)のものとして、ありのまま生き、ありのままに散る紅葉。裏を見せて散る紅葉は、表も裏も包み隠すことなく見せて、散る。だからこそ人の心をとらえ、美しい。

全国の紅葉の名勝に観光で群がる人たち。紅葉をみたい。真っ赤なモミジをみたい。日本一の紅葉を一番よい季節でみたい。誰にも邪魔されず・・・。

でも私たちの中に、良寛さんのように紅葉を眺める人はどれほどいるでしょう・・・

10月

川の向こうの紅葉が
きれいだったので
橋を渡って行ってみた

ふり返ると
さっきまでいた所の方が
きれいだった
              星野富弘    

星野さんは、群馬県出身の詩人であり画家です。1970年に中学校の体育教師となりましたが、その数ヶ月後、宙返りの演技失敗で、肩から下に麻痺が残る生活となりました。しかし、星野さんは、それから口でペンをもち、絵を描き、詩を詠み、私たちに今もなお多くのメッセージを発信して下さっています。

「ねぇ あそこ見てみて!きれいだよ!あっち行ってみようよ!」と、ここからあっちに行ってみる。
「むこう側はもっときれいみたいだよ!むこう側に行ってみよう!」と、あっちからむこう側に行ってみる。
「聞くところによると、もう少し行けばあまり知られてないきれいなところがあるらしいよ!行ってみよう!」と、むこう側からあまり知らないところに行ってみる。

すると・・・時間がたち・・・道にまよい・・・夜が更け・・・疲れ果て・・・ここはどこかわからなくなる。
ふと振り返る余裕。ふと振り返り元の場所をみる気持ち。元の場所の美しさに気がつく心。

あなたは、今、自分のいる場所を見ていますか。皆さんは、今いる場所をどのように見れてますか?

9月

「小さな花」 榎本栄一
人のいうことを
ナルホドそうかと
うなずけたら
何か そこには
小さな花が咲くようである
                詩集『群生海』より    

この詩を詠まれた榎本栄一さんは、大阪で生まれ育ち、商いをなされ、六十代から詩を始められ、平成十年九十四歳でお浄土に還帰されました。そして念佛者でした。人との語らい、お念佛との出会いの中で、自分を深く見つめ掘り下げられた方です。

他人との関係で、素直に頷けない事・頭が下がらない時・自分が第一な人には、なかなか咲くことのない小さなちいさな花。

あなたの心に、今、一体どんな花が咲いているのでしょうか。私の心に、今日、どんな花が咲いたのでしょう。   

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